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『俺は来年の桜が見られないかもしれないんだぞ!』
そう言っていたのは去年の11月。
悦の挙式の日に言ってた言葉。
テレビで日本列島桜満開のニュース、お花見情報が
こまめに入ってくる2007年4月6日、先生は逝った。
50歳の若さ。
高校2年の新学期、新しいクラスの発表で担任の名前を目にした時ショックだった
『イヤな先生が担任になっちまったー!マジかよー!』・・・でも1年耐えた。
高校3年の新学期、新しいクラスの発表で担任の名前を目にした時、落胆した。
『ゲッ!!去年と同じ担任』・・・へこむ以外何もなかった。
嫌いな先生が2年連続担任なので、教室に先生が入って来ても、
窓際の席だった私は先生の話など聞かずにずーーっと外を眺めていた日々だった。
『私、先生の事嫌いだったんだよー!』
卒業して先生に会った時、そう話した事があった。
『知ってるよ。おまえは嫌そうな顔して、ずっと外ばっか見てたもんな。』
気付いてたんだ。 バレてーら
ごめんね。でも当時はホントに先生が嫌いだったんだよ。
進路の相談するまでは。
ちっともイヤな先生じゃないって事に気付くのが遅かった
いつも無表情で、ヌボーとしてて、あまり周りにはいないキャラの先生。
大きくなめらかに書く黒板の文字
色柄のクッキリした派手なネクタイ
授業の余り時間に話す教科書とは関係ない余談・・・。
『人のために生きてください。 人のために生きればいつか自分に返ってくる時がありますからね!』
『前向きに生きてください』
卒業が近づくとしきりに言ってたな。
他には『私の家には妖精がいます』『この世はあるけど、あの世ってのはありませんからね』
など、エンドゥーイズム的な話もあったなー。
先生は棺の中で爆睡してた
棺をポンポン叩きながら、『先生!先生!』って声かけても応えることは無かった。
でも口を尖らせながら
『おぅー!よく来たな。結婚するんだって?』
ってあの口調で言ってくれてる気がした。
『天王橋を渡るとオマエが出てくるんだよなー。
俺んとこは橋渡って右だけど、オマエんとこは左だもんな。』
沢山の教え子がいる中で、地元の橋を渡ると私が浮かんでくるなんて・・・。
とっても光栄で、なんか得した気分だった。
先生との思い出や教えが何よりもの形見です。
先生、今年の桜は見られたのかな?
空の上でお花見してるのかな?
もしかして私が沖縄へ発つ前に呼んでくれたった事?
こんな形で呼ばれたくなかったよ
ワーワー泣いて目が腫れたじゃないの!
おかげでこっちは泣き疲れたよ。 ホントに・・・。
でも、先生ありがとう!
そしておつかれ様
これからはゆっくり休んでくださいね。
(って言っても『俺は十分休んでるよ。学校行ってないんだから。』とか言いそう)