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旅の途中で大洲城なるものを見つけ、寄り道してみました。
ぶっちゃけ、大洲城って知らなかったので、
チャチィー城かっ? と無意味な上から目線で行ってみたものの、
結構ご立派でキレイなお城でしたワ!!
㊤こうやって遠くから見る眺めがいいかも!
高台にポツンと建てられているので離れた所でも画になります。
これが大洲城。
大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、
また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道がある。
また、すぐ西には大洲の外港とも言える八幡浜(現八幡浜市)があり、
大洲は歴史的にはややひなびた立地ながらも交通の要衝といえる場所にあった。
宇都宮氏が創建した当初は、肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ヶ岳に築城したことから
地蔵ヶ岳城と呼ばれた。 江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、
近世城郭としての体裁を整えた。 伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。
また、明治維新後から現在にいたる地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に主に市民による寄付によって完成した往時を出来る限り忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。
だそうです・・・。
やっぱ引きの画のがいいな。
こんなに遠くからでも大きな障害物無く眺める事ができるのです。
のどかで良いとこだっ!!
空気がウマイっ。
今治城が海ならば、松山城は山の上にありました。
意外や意外の繁華街松山に(失礼!)観光客も大勢押し寄せているので、
お城の周りの道路は大渋滞でした。
㊤城を見学するにはこのようなリフトに乗って山頂へ向かいます。
㊤もしくはこんなロープウェーで素早く山頂へ行くことも出来ます。
購入したチケットで好きなほうに乗れます。
リフトを降りればお城か?!と思ったら大間違いで、かなーり歩きます(><;)
更に階段を、坂道を・・・。
日ごろの運動不測がカラダに応えますわ!
息も荒くなるとやがて城壁が見えてきます。
熊本城みたいに『武者返し』してるのわかるかな?
そしてやっと見えてきた松山城!!
この辺まではリフト代金だけで来れますが、
奥にある松山城のゆるきゃら?(赤丸)から先は入場料¥500がかかります。
せっかくなので入ってみることに・・・・。