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10月ですねぇ~~。

九州各地を周遊していると、『道の駅』によく出くわします。
熊本県の宮崎県寄りにある『道の駅・通潤橋』に行ったときのこと。





阿蘇の外れにあるので、ツーリング客もちらほら・・・。
ちょっとした名所になっている道の駅です。



㊤これが通潤橋です。
橋の上から放水しているのです!!



放水しているのは決まった時間にならないと行われないのですが、
たまたま立ち寄った時に滝のごとく放水が始まりました。

阿蘇外輪山の南西側すそ野、上益城郡山都町(旧矢部町)に、全長79.64m、橋幅6.65m、橋高21.43mの堂々とした「通潤橋(つうじゅんきょう)」という、大きな石橋がある。
この橋は江戸時代ペリーの来航騒ぎの最中、安政元年(1854)矢部手永(てなが)惣庄屋(そうじょうや)布田保之助(ふたやすのすけ)の企画、石工丈八(じょうはち)達の技術、矢部郷住民の献金と労力奉仕のもとに完成したものである。

通潤橋は人を渡す橋ではなく、橋の上に石造パイプを3列並べた通水管を通し、水を渡す水路橋である。
水路は水の吹上口が取入口より約6m低くなり、逆サイホンとも呼ばれる連通管によって対岸に水を送る特異な構造になっている。
アーチ橋自体の技術史上、また文化史上貴重な遺構、極めて重要な建造物と認められ、昭和35年2月9日に文化財保護法の規定により、国の重要文化財にも指定されている。

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石仏特集・・・しつこい?(笑)



㊤ これは既に見終えた石仏群を上から見たもの。
こんな森の中によく作ったなーと、いろいろ考えさせられます。




㊤ これは昔、頭が地上に置かれていた時のもの。
現在と比較するためにパネルが掲げられていました。
『古園石仏』です。

1980年から1994年までの14年間、磨崖仏を中心に保存修理工事が行われました。
さらに、保存修理の効果をより高めるために修理の終わった各磨崖仏群に保存施設としての覆屋も設置されました。
この修理の中で、多くの人々から最も注目を集めたのは古園石仏の修理でした。
ここには、長い間親しまれてきた中尊大日如来像の仏頭が地上に安置されており、修理に際して、仏頭を元の位置に戻すかどうかの論議が市民の間から沸き起こりました。
約4年間にわたる論争の末、保存して将来に引き継いでいくためには復位すべきであるという意見が大勢を占め、これを受け大日如来の仏頭復位が行われました。

仏頭復位の成った大日如来は、その姿を一変しました。
両肘を左右に十分に張り、お顔は、両頬が丸く張りをもって彫られ、両眉は、美しい半円弧を描き、両眼のまなじりはわずかに切れ上がり、豊かな抑揚を見せる大きな眼をはっきりと刻んでいます。
そして、お顔の形を引き締めるかの様な小さな唇と締まった顎の表現によって、全体としては、典雅でしかも力強い像形がうかがえるようになりました。





㊤これは現在の古園石仏です。
修復を終えた現在は頭が定位置になりました。

案内板の矢印の方向に従って坂道を上っていくと、見事な彫刻の石仏が見えてきます。

  

このような石仏群が大きく分けて4箇所あります。
これは始めに見た『ホキ石仏第一群』です。

 

臼杵に来たら、国宝の石仏を見たほうがいいです。
非常に地味ですが、深い歴史に重みを感じることができます。

  

空気が美味しく、のどかな景色に心が洗われます。




このような所の山の中に石仏があるのです。

石仏について詳しくはこちら(㊦)

臼杵石仏は、九州の東海岸、大分県臼杵市大字中尾・深田に所在しています。
この地には、切り立った丘陵の崖面に彫りだされた磨崖仏と一つの岩の塊まりを削って
石像とした持ち運び可能な石仏との二種類あります。

臼杵の石仏は、阿蘇溶結凝灰岩という軟質の石に彫られているため、風化しやすく、永い年月の間に亀裂を生じたり、剥落するなど傷みがひどくなっていました。
このため、1980年から1994年までの14年間、磨崖仏を中心に保存修理工事が行われました。

臼杵磨崖仏は、古園石仏・山王山石仏・ホキ石仏第1群・ホキ石仏第2群の四群から成っています。
いずれも造顕年代は、はっきりとしていませんが、美術史的見地からは、平安時代後期~鎌倉時代にかけて彫られたと考えられています。

保存修理の終わった臼杵磨崖仏は、その姿を一変し、本来の姿に近い、見事な出来ばとなったことが高い評価を受け、59体の磨崖仏が1995年6月15日に、石仏としては我が国ではじめて「国宝」の指定を受けました。



臼杵石仏観覧料
大人(高校生以上) 1人につき530円  団体30人以上割引あり
小人(小中学生) 1ひとにつき260円  

共通券(臼杵石仏・稲葉家下屋敷・野上弥生子文学記念館・吉丸一昌記念館)
大人 1人につき1090円   小人 540円
※いずれの観光施設でも購入できます。
   
観覧時間
午前8時30分~午後5時
ただし、4月~10月まで観覧時間延長有り

先日の地獄プリンに関連して、坊主地獄へ行ってきたので紹介・・・。

地獄温泉巡りと言っても、お風呂ではなくて観光の温泉。
その一つが
『鬼石坊主地獄』です。



733年(天平5)に編まれた「豊後風土記」に登場するほど歴史が古く 、
明治時代には「新坊主地獄」として観光名所となりました。
50年代後半に一旦閉鎖されましたが、2002年(平成14年)12月16日に、
復活を願う声に応えて約40年ぶりに『鬼石坊主地獄』という名前で
リニューアルオープンしました。



これが地獄池です。
灰色の熱泥が沸騰する様子が坊主頭に似ている事から
「鬼石坊主地獄」と呼ばれる様になりました。 


見るからに熱そうな泥が地獄の底から沸いているのです!
ボコボコいってます。



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